グリムの昔話「みつけどり」について 

 森の管理人が、高い木の上でみつけた男の子を家に連れて帰ります。みつけどりと名づけられたその男の子は、管理人の娘、レーネとともに育てられます。管理人の家には悪い料理番のばあさんがいて、管理人の留守にみつけどりを煮立った湯の中へ放り込もうとします。それを知ったレーネはみつけどりと一緒に森へ逃げ出します。2人の子どもは「バラと教会」「教会と中のあかり」「池と池に浮かぶかも」に姿を変え、追っ手をくらまし、おばあさんをやっつけてしまうお話です。(以上、国際子ども図書館の「子どもに語るグリムの昔話2」(こぐま社)「みつけどり」紹介文)

「みつけどり」という名は「木のうえで見つかった子には、鳥がさらってきたのですから、”みつけどり”という名をつけました。」とあります。実はここに引っかかっているのですが、子どもを見つけたのは、鳥なのか、森の管理人なのか、という点です。たぶん鳥がみつけたからなんでしょうが、なんとなく私は釈然としないままです。

 昔話というのは、大昔のひとたちから口承で伝わった話なので、辻褄が合わなくても映像として言葉でどんどん入ってくるものです。分かっているのですが、ストーリーテリングで何十回も覚えようとすると、引っかかるんですね、料理番のおばあさん。この人は、最初は〝年とった料理女”だったのが、最後の最後になって、”魔女だったばあさん"となっていて、「え~、この人魔女だったの~?」とのけぞってしまう。で、魔女だとすると、森の管理人であるレーネのお父さんをやたら怖がっているのも解せない・・・・

 煙に巻かれる感をおいても、この話の魅力は、レーネとみつけどりの仲の良さ

”「みつけどり、あんたが、あたしをすてないなら、あたしもあんたをすてないよ。」

すると、みつけどりもいいました。

「すてるもんか、ぜったいに!」”

というフレーズが、4回も繰り返されます。すてるって、なんか演歌っぽいけど、そこは、少年の毅然とした口調で語ることにしています。

そして、このふたりが、「あんたはバラの木におなり、あたしは、バラの花になるから」と言ってストレートに変身するところが、ふしぎさと快感でわくわくするんですね。訳者の佐々木梨代子さんの解説には、「幼い聴き手がこの変身を当然のように受け入れるのを見る度に、子どもが本来持っている不思議な力に触れる気がします。」とありました。

  

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